
はじめに
これは木製眼鏡において世界で第一人者になることを決意して、ゼロからのスタートでブランドを立ち上げた経験から「人生を自分の力で切り拓く生き方」について語ったものです。
2007年くらいの出来事ですが、当時オーダーメイドで、しかも完全なフィッテングが施された木製眼鏡は存在しませんでした。どうせやるなら世界一。その人の人生が豊かになり、今まで観えなかったものが観えるようになるメガネを創りたいと思い挑戦しました。誰も開拓していない前人未到の地をひたすら一人で先頭に立ち、度重なる課題さえも楽しく乗り越え、夢を叶えた物語です。今だからこそ言える秘話も盛り込んでいます。どうぞお楽しみ下さい~!
「本当にその生き方でいいの?」とあなたの今までの人生に突きつけられた時、どう答えますか?どう感じますか?その問を自分に突きつけられた時、僕はもうそれは秒速の如く瞬時に、このままで良いはずがない、と答えが出ました。
みなさんは如何でしょう?
このままではいけない!何か変えないと!という気持ちは持っているものの、何をどうして良いか分からない状態。自分は何を目指すべきか、本来の自分って何なんだ?とか迷宮のラビリンスに舞い込んでいませんか?
自分探しをしても自分は見つかりません。
よく考えるとわかることなんですが、そもそも自分なんてないですから。あっ、物理的には一人の人間として存在しているのですが、ここで言ってるのは、内面的なことです。自分が考えてる自分と、周囲の人が見ている自分。イコールの部分もあれば、イコールでない部分もある。この時点でもう話がズレている。Aさんの自分への捉え方とBさんの自分への捉え方も違う。。。
「本来の自分は、、、」
という言い方もよく耳にしますが、本来の自分ってあるのでしょうか?
本来でない自分が今ここに存在していて、本来の自分はどこかに隠れている。その本来の自分に出会う旅に出る。果たして本来の自分に出会えるでしょうか?それよりも、いっそ自分探しの旅を諦めて、それもこれも含めて今の自分まるごとを本来の自分と考えた方がスッキリするし、前に向けるのではないでしょうか?
いきなり、ヤヤコシイ話をしていますが、まだまだ続きます!(笑)
僕の場合も、本来の自分探しをしていました。
ただ、旅の仕方がちょっと違っていました。ほとんどの人は自分探しを始めると過去自分の歩んできた道をたどって自分探しをします。でも、僕の場合は将来つまり未来の方向で自分の在り方を考えました。その時、シンプルに今のままではいけない。おかしい。と感じました。
でも、何をすればよいか、明確な目標は持っていませんでした。そして毎日、何をすれば良いかを考え続けていました。そんな時に出会ったのです。テレビで!ですけど。(笑)
よく、眼鏡をつくろうと思ったきっかけは?と聞かれます。何かすごいきっかけがあってつくり始めたのだろう!!!と皆さん思われるのですが、きっかけは単純なことです。
ほら「うるるん滞在記」って番組あったでしょ?そう、若い青年が世界に飛び立ち、自分の挑戦をしていく・・・。そこでの出会いと別れが売りの番組です。今や知らない人も多いですかね。(笑)
ある日、たまたまテレビをつけていたら
「俳優の谷原章介がドイツの~~~木製眼鏡職人に~~~出会った~~~!」
何?!木製眼鏡?!木で眼鏡をつくるってどんなんやろう?と思い。思わず見入ってしまいました。もともとモノづくりが好きだったので、糸ノコで木を切っていく作業や出来上がるにつれ次第に輝きを増していく工程に魅力を感じました。
でもその時は面白いな~~~とは思いましたが、何か運命的な出会い、自分を突き動かすような衝撃や偶発的なタイミングが合わない限り自分でつくるとは思っていませんでした。
そして、あくる日なぜかその当時のパートナーが「木を買いに行こうか?」と声を掛けてくれました。今から思うと僕よりもパートナーの方が、僕という自分を分かっていたかも知れません。こいつにはこれが合っていると直感的に感じていたのでしょう。
そんなきっかけで材木屋さんに足を運ぶこととなり、そこで初めて銘木と出会い、木の魅力に取り付かれることになったのです。詳しいことは後にお話することになると思いますが・・・。



と言って出して頂いたのがサクラの木でした。初めて触れるサクラの香りと品の良さ、木目の美しさに感動したのを今でも鮮明に覚えています。とりあえずはその木を購入し家路についたのでした。
そもそもの話になりますが、僕は当時公務員でした。日本で最初にできた伝統のある美術学校で教師をしていました。
公務員ですので毎月定額が入ってきます。最近は安定を求める人が多いようですが、僕は安定している=将来の収入が読める=やれることへの限界を感じていました。公務員であることは、経済的自由と時間的自由は得られません。一定の収入範囲で生きていくことが僕には考えれませんでした。なので、もっと違う世界を観たいと強く考えていました。
では、なぜ公務員になったの?と疑問がわいてくると思います。それは自分の人生の一過程において、教えるという仕事、世の中の一番小さなコミュニティーである家庭を知ること、自分が歩んできた美術を通して伝えることが重要だと思ったからです。
矛盾しているように聞こえるかも知れませんが、一生続けることはないとはっきり意識していたからこそ次を見つめ、この環境で吸収できるものはすべて吸収しようと努めました。中途半端は嫌だったのです。なので人が嫌がる仕事も全部引き受けて、こなしました。
そんな状況の中、木製メガネに出会いました。ですが、まだピンとはきていませんでした。その時はこれから起こる出来事をしらないまま。。。(つづく)