なぜ着物業界が衰退したのか
着物の業界は、伝統と因習から脱却できずに衰退してしまった最たる例だと思います。
今まで当たり前のように売れていた時代から、新しい時代へ対応しようとせず、購入者を置き去りにした昔ながらの販売の仕方をやり抜いてしまった結果、伝統は継承されずにこの業界は生き残れなくなりました。
バブル崩壊までは、着物は作れば売れる時代でした。
それは、お金で物を買うことによって満たされる欲求で成立している世界でした。ですが、バブルが崩壊し、人々が求める質と量がかわりました。
しかしながら、着物業界に携わる側、特に問屋と言われる仲介業者の殆どは発注先を下に見て制作費用を叩く、売るときには何やかんや理由を並べて高額で売る、そんなことを繰り返していました。そして、問屋の仕事は売って終わりです。業界がよくなるはずがありません。
日本ならではの着物の良さを継承し、着物の美を伝えていくなら、着物を来ていく場所を創る、イベント企画、価格帯も巾を持たせる等、それぞれの年齢層やニーズにあわせた価値を提供すべきだったと思います。
もちろん、そんな問屋・業者が100%ではありません。ちゃんと将来のことを考え、業界がどうあるべきかを思慮しアクションを起こしていた人もいます。ですが、少数であったのと、それにも増して京都の昔からの軋轢というか因習の力の支配が大きかったのです。
損得ベースの商売を続けた結果が着物業界の衰退です。
永い伝統の中で培ってきたものは、損得ベースの考え方でなく、着物文化の背景にあるラグジュアリーな精神であったと思います。それは茶道や華道などともリンクし、精神世界を築き上げてきたと思います。
ですが、商いという形式におけるお金に縛られ、本当に残さなければならないものを見失ったのではないでしょうか。
私はモナコを中心にヨーロッパ各国を回りました。世界の富裕層が集まるその世界には、ラグジュアリーが存在しました。お金があるからラグジュアリーが存在するのではありません。ヒト・モノ・コト全てにおいて継承する文化が根付いており、そこに愛情の深さを感じました。
ヨーロッパでは古い歴史あるものへの関心が非常に高いです。これは富裕層に限らず一般の人もです。なのでアンティークなものを好む人も多く、古い街並みが残されています。ピースラリーでモナコからロシアをクラシックカーで走った時にも、沿道の人々から受ける声援は日本では考えられないくらい熱烈歓迎を受けました。クラシックカーという歴史が走っていることに感動しているのです。
そして、皆自分の意見を持っています。自分の所有しているものに対して、社会に対して、環境に対して。。。その環境であるからこそ、価格に関係なくモノへの価値を自分で決めています。自分の軸を個々が持っています。ブレない軸のある人々によって出来上がる景色や空間があります。
そんな人々によって文化が守られます。
着物においてはどうでしょうか。未来の日本を考え、文化として着物を捉え、携わる人間が軸となるものを持って、継承してきたと考えられるでしょうか。
着物という形は今でも残っています。が、その意味を理解し、次世代に向け生かせる環境づくりができる器が今の日本にはないと感じます。ハードは残ってるけれどソフトが追いついていない、そんな印象です。
ラグジュアリーとは、モノとそれを生かせるヒトがいて、その相乗効果により創出される空間であり時間というコトです。
今の日本にもラグジュアリーが取り戻せたらと感じます。
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