よく観えるメガネ

自分の意志で生きるために必要なこと

 

木製メガネの最終工程である仕上げについてです。素材が木ですので、プラスチックとは異なる仕上げ処理が必要になります。2通りの仕上げ方があります。

1つは「白木」仕上げ、もう1つは「拭き漆」仕上げです。2つの仕上げ方に共通して言えることは、木目を生かすということです。塗装という方法もあるのですが、全く木地が見えなくなっては、木の良さや面白さが出ないからです。「白木」は着色せず、木の色をそのまま生かすワックス仕上げです。「拭き漆」は、漆を薄く塗り、すぐに余分な漆を布で拭きとります。これを何回も繰り返すのですが、そうすることで、薄い塗膜が形成され、木目を生かしながら漆ならではの落ち着いた色合いになります。

2つの仕上げ方を説明しましたが、木の持つ魅力として「経年変化」があります。時が経つとともに色が変化していきます。「白木仕上げ」であれば最初は、きれいなそれこそ白木なのですが、使いこんでいくと光沢が増し、味のある色に変化していきます。例えるなら新築の木造建築の柱が時代とともに風格を増してくるといった感じでしょうか。「拭き漆仕上げ」では、最初少しマット(つや消し)な仕上りになるのですが、やがて透明感が増し、飴色に輝きます。この輝きは、他の塗料で出すことは難しく、とても味わい深い不思議な魅力を持っています。

拭き漆仕上げでは、漆を使って仕上げるのですが、ご承知の通り、乾燥していない漆には、ほとんどの人がかぶれます。これは漆に含まれている成分が皮膚に付着し、反応することでおこるのですが、完全に乾燥している場合は、通常かぶれることはありません。「木」という素材、「漆」という塗料、ともに天然のものですので、きちんと使えば身体にはとてもやさしく、馴染みやすい良い素材です。

ご存知の通り木目には2つとて同じものはありません。木には個性があります。同じ山の同じ種類の木でも1本1本性格が違います。日の当たり方、土地の傾斜、隣の木の性格、などなどあらゆる条件によって性格が生まれます。それらの条件により木目も当然変わる訳ですが、その木目という個性を生かすことがとても重要です。大きな板のどの部分を使うか、それを木目取りと言いますが、それだけに1日かかることもあります。それだけ、個性を生かすことは難しいのです。

木目を見た時に荒そうだなーと感じたときは、加工をしている間に曲がり始めたり、木目が品よく整っている場合には、加工後も変に曲がることもなく、素直に応えてくれたり、なかなか面白いものです。

そして、木目をみて「美しい」と感じる時、その木は間違いありません。素直で加工しやすく、それでいて気品があります。芯の強さを感じます。そして仕上がってから独り立ちして更に個性が開花します

木目だけでなく、最終出来上がったメガネから「美しい」と感じる時、そこにはデザイン的に綺麗なことは勿論、木の個性も生かされ全てがパーフェクトな状態です。その存在から感じる美しさにはエレガント、シャープ、凛とした姿、個性を保ちながらかけた人を演出する器用さなど、すべての要素を包括していると感じます。なので、

本当に美しいと感じるものに間違いはありません。

なぜ眼鏡なの?とよく聞かれます。以前に書いたように、きっかけはテレビ番組に触発されたのですが、それだけではなく様々な理由があります。

眼鏡はその人の雰囲気を変えることができます。いつもと違う自分を演出したり、気分を変えられます。「今日は、なんか楽しいな」「今日も一日頑張ろう!」など、その人の生活が楽しくなっていく、そんな木製メガネを提供できればな、という思いで創りはじめました。それが理由の一つなのですが、まだまだたくさんの理由があります。

二つめとしては、人がやっていないことに挑戦したいということです。「木で眼鏡をつくる」これにつきます。日本の天然木を使用し、質の高い美しいものをつくる。今でこそ、いろんな種類の木製眼鏡が出回り選べるようになりましたが、僕が第1号を完成させた頃、世の中にはそのようなものはほとんどありませんでした。また、フレームすべてを天然木でつくり、きちんとフィッティングのできている木製眼鏡は未だにありません。前例がないため完成するまでには様々なハプニングが起こり、また越えなければならない壁がたくさんありました。それを一つ一つ乗り越えていく面白さがそこにはありました。

よく周囲の人からは、よくここまで出来るね!もともとメガネやさん?とか、すごい努力がいったんじゃない?とか言われます。ですが、僕自身、頑張りはしましたが、努力をした感覚はないのです。数々の問題を抱え、それを一つづつ乗り越えてきたのは事実ですが、努力という感覚よりも世界の第一人者になるんだ!それに向かうエネルギーが強く、ワクワクしながら一生懸命やっていたという感じです。

やらされている感覚だから、努力しているという結果になる。好きで頑張っていれば、それは努力とは感じないんですね。不思議なことに。でじゃ、好きなことをやりましょう!と世の中ではほぼ100%そう言いますが、それは違っていて、前述のように人生の幅を持たそうと思うと、自分が得意でない部分、嫌いな部分に伸びしろがあって、人生の旨味が隠されています

では、嫌なことを努力でなく、どうすれば頑張れるのか?ですが、その答えは全てを楽しめる人間になるということです。解決できなさそうな問題がおこっても、辛い出来事が起こっても、すべてを力に変えて前に突き進む。そんな人間になれば、何があっても楽しく生きることができます。

言い方を変えると、それは自分の意志で生きるということです。

人生の選択権はすべて自分にあります

あなたは、どんな選択を今しますか?

スポンサーリンク

  • この記事を書いた人

Kawamura Hiromitsu

「教育」21年間公務員として教鞭をとる→「モナコ滞在」にて映画のような日常を知る→起業し事業を営むかたわら社会貢献活動にも力を入れている。モナコをはじめヨーロッパと日本を行き来する生活を送り人生を愉しんでいる。

-よく観えるメガネ

S