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Kawamura Hiromitsu

葛藤して頑張って挑戦!また挑戦しているプロフィール

このブログは、あなたの人生を狂わせるために書いていているブログです。(笑)

その名も「あなたの人生狂わせたいの♡」

・毎日の生活に刺激が欲しい!
・今のままではイヤだ!
・何かに挑戦をしたい!
・人生を変えたい!

と考えてる人を応援して、あなたの人生を狂わせるお手伝いができればと思っています。真面目な内容もあれば、ふざけた内容やぶっ飛んでる内容もあるかも知れませんが、お付き合いください。

では、事故、いや自己紹介!(笑)

ざっくり、どう人生が変わったかを言うと、教育公務員から
↓↓↓「Amazing Encounter」のような人生に変わりました。

誕生

1971年生まれ。京都生まれ京都育ち。

※写真左側

大学時代

芸大祭イベント「8時間耐久 3輪車レース」

京都の芸術大学へ通っていました。

大学生活では作品制作、クラブ活動、趣味と大いに楽しんだ4年間でした。

クラブはラグビー部に入り毎日練習をして、四芸祭と言って全国の4つの国公立芸術大学の祭典で優勝することを目標に励んでいました。趣味ではトライアル競技をやっていました。トライアルはバイク競技の一種で山の中で岩や壁、斜面を足を付かずにクリアできるかというマニアックなスポーツです。週末はトライアルに没頭していました。

写真は「8時間耐久 3輪車レース」に出場した時の様子です。秋に行われる大学祭では他大学と同様、模擬店やたくさんのイベントを企画・運営します。実はこれが半端ないのです。模擬店の骨組みはテントを利用するのですが、その室内は家さながら壁も床もカウンターも本当に一軒のお店が出来上がります。大学には漆芸といって木工と漆塗りで作品制作する専攻がありますが、その出店では模擬店内に床の間まで用意される徹底ぶりでした。

勝敗をかけた戦い「8時間耐久 三輪車レース」

大学時代の祭典「芸大祭」芸大生がつくるお祭りなので普通ではありません。こんなことにも手を抜かず、必死になって面白可笑しく頑張るなんて傍から見ていたら笑えます。 芸術系の人間は発想という武器を使ってデザ ...

私はラグビー部として出店してた訳ですが、昼はトライ亭という焼きそばやで、夕刻以降はゲイバーになります。この写真は見せられません。(笑)そこの収入で1年間の部費を賄うという、なんとも面白いというか、プレッシャーというか、そんな芸大祭でした。

で、何を勉強していたかですが、大学では染織を専攻し、主に染めの技法を利用した作品づくりを学んでいました。大きく分けると「自己表現としての作品」と「売るための商品」に分けることができます。前者は作家、後者は職人とカテゴライズされています。(かなり、ざっくりした説明ですが)大学では、作家としてやっていくための基礎を学びますが、純粋な芸術表現を学んでいるにも関わらず、私は伝統的な技法や表現方法に囚われ、こうしなければならないという考え方のもとに作品づくりをしていました。今から思うともっと好き勝手に自由にやれば良かったと感じています。その方が楽しいし、世の中に訴えかる説得力を持った作品が生まれていたのではないか?と。

世の中に対してアクションを起こすこと、何らかの影響を与え、変化を起こすことがアートの役割の一部でもあるからです。ですが、私は雁字搦めの制作スタイルをとっていました

一方でアートの世界とは言え染織(工芸分野)では伝統を重んじるところもあり(特に京都という土地柄もあります)そのお陰で一定の評価を頂いていたのも事実です。全国規模の展覧会にも出品し、最年少での入選もいくつか果たしました。

大学生活や制作活動を通して自由であることの怖さと責任を感じたのもリアルに覚えています。

表現は不自由?それとも自由なのか、、、

自由であることの怖さと責任 あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」で表現の自由とは何かが問われていましたが、、、 驚きと怖さと責任 これは私自身の経験談です。自由であることの怖さと責任を感じた時の話で ...

 

卒業後、呉服製造に携わる

卒業後は、父が呉服製造をしており、そこへ入社しました。いわゆる弟子入りのようなものです。弟子入りして着物の制作技術を学びながらも染色作家として展覧会にも作品を出品し続けていました。

祖父から父へと引き継がれてきた着物をつくる仕事。私が3代目にあたり、後継者として期待されていました。ですが、時代は和装業界全体が急激な右肩さがりの時代に入っていました。

呉服制作には3年間、携わりました。というのもこの後の仕事となる教師へのオファーがあったからです。それは突然の出来事でした。

大学時代の恩師から美術専門の高等学校で教諭を募集していると連絡が入りました。

父親の仕事を続けるべきか、新しい環境に挑戦すべか、考えました。が、悩んだという記憶はありません。その高等学校は父親の通っていた学校でもあり、歴史的変遷はありますが私のルーツでもありました。一つの会社で頑張ることと、学校という社会でたくさんの人間模様を見ることは自分の将来にとってとても重要なことだと考えたからです。

着物業界の衰退の理由はラグジュアリーにあった?!

なぜ着物業界が衰退したのか 着物の業界は、伝統と因習から脱却できずに衰退してしまった最たる例だと思います。 今まで当たり前のように売れていた時代から、新しい時代へ対応しようとせず、購入者を置き去りにし ...

 

教育公務員(教師・パーフェクトヒューマン)

学園祭でのパフォーマンス「パーフェクト ヒューマン」

なぜか、学園祭の写真ばかりですが。。。(笑)

日本で一番歴史のある美術高校へ赴任しました。もともとは京都御所に画学校として創立された100年を越える学校です。日本や世界で活躍する芸術家をたくさん排出した伝統のある学校です。

そこに赴任して数日後、僕の人生を決める決定的な事件がおこりました。

それは、ある先生の後ろ姿から僕の将来を読み取ってしまったのです。その先生が始業式のために職員室から式が行われるグランドへ出ていく瞬間だったのですが、その先生の後ろ姿から「僕の求める本質はここにはない。長居してはいけない。」と何かの啓示が下りてくるように明確に感じました。この感覚は今でも鮮明に覚えています。

これは決して、教師という仕事を簡単に考えてたとか、適当に考えてるとかではなく、私の人生をかけて目指す最終到達点はここにはないと感じたという話です。

で、その感覚を持ったまま21年間、続けました。(笑)
ですが、ある事がきっかけで、人生がおおきく変わり始めました。

adventure-beautiful
人生を変える出来事は思いがけずビックリするくらい突然に

  Plofileでも書きましたが、勤務当初から自分の人生における最終到達点は教師生活にはないと感じていたのですが、ある事がきっかけで、人生がおおきく変わり始めました。   教務部 ...

数ある職業から私が教師という職業を選んだ理由

なぜ教師の道を選んだのか 教師の道を選んだ理由は、いくつかありますが、その一つは社会における一番小さなコミュニティー(単位)である家庭を見ることでした。それが自分の将来にとって重要だと考えたからです。 ...

 

EXPLORERS CLUBとの出会い

教務部長しての仕事での無理がたたり全身に蕁麻疹が出るようになって苦しみました。今まで有給休暇を全く取らず、穴を空けまいと励んできましたが、身体の状態がとても悪く日常生活もままならなかったの2ヶ月間の休職をしました。その間にネットサーフィンをしていたら、とある記事が目に飛び込んできました!

「人生を愉しむシンポジウム」
一度しかない人生。思いっきり愉しみませんか?!

という記事でした。それを見た瞬間に申し込みをしていました。蕁麻疹になり、仕事が人生の大半を締める今の生き方が問われているように感じたのです。

このタイミングでの出会い。行くしかないと思いました。

真夏でしたので、外を歩くと蕁麻疹が出る可能性がありましたが、身体の温度を上げないよう工夫しなら会場に向かいました。ここでEXPLORERS CLUBと出会いました。

この出会いが僕の人生を変えることになったきっかけです。あの時のワクワク感とシンポジウム終了後、夜一人で眺めた夜景は忘れません。

それからというもの「人生を愉しむ」という思考を手に入れ続け「宇宙からのプロポーズ」「石垣島トライアスロン完走」などたくさんの冒険を成し遂げました。社会人となってからは、一人で頑張ってきた来ましたが、ここで仲間ができました。

 

教育公務員 退職を決意

20年以上にわたり教師の仕事を続けてきました。自分の残りの人生を考えた時に今のままではダメだと感じました。というか前述のように赴任当初から感じていたのですが、いよいよ人生の残り時間や体力的なことを考えるとラストチャンスだなと自覚しました。

公務員ですので、昇給も計算できますし、それに応じた生活になります。自分の将来がすべて見えてしまったのです。叶えられる夢の範囲の狭さに恐ろしさを感じました。

そこで、このラストチャンスをどう生かすかを考えました。

しかし、自分の頭で考えを巡らすも見つかりませんでした。なぜなら、自分の未来像が明確に観えていないのと、目指そうとするものが大きく捉えどころにない感覚を求めていたからです。ですので、明確に設定することもできませんでした。

今の自分=過去の経験の集積です。

過去の自分が背伸びをしたところで、その想像には限界があるとはっきり解っていました。これはモナコのボスに相談するしかないと思い、EXPLORERS CLUB創始者のもとへ旅立ちました。夏休みを利用しての弾丸旅行でした。

そして、モナコでディナーを頂いている時、ボスからこう言われました。

「こちらへ来ればラグジュアリーな世界を観ることができる」

この一言が僕をつき動かしました。ふと夜の海に目を移すとそこには一直線に月の明かりが一筋の直線となって私の方へ繋がっていました。なんとも神秘的な時間でした。そして、退職をその場で決心しました。

帰国後、春までの半年間で退職にむけ様々な準備を始め、翌春3月31日に退職をしました。

 

モナコ公国  滞在

約半年のモナコ滞在が始まりました。モナコはとても美しい国でした。蒼いコート・ダジュールの海。そこには世界各国から集まってくるスーパーヨット。モナコF1グランプリ。一流ホテルでのディナー、海を目にしながらのランチ。照りつける眩い太陽のもと光輝く世界を見ることができました。

モナコは街はもちろん美しいのですが、やはりその景色をつくっている人の気品や迫力に圧倒されます。世界から集まる富裕層の考え方、生きている世界を見ることができ、そういったすべての要素が織りなす景色全てが刺激的でした。

ラグジュアリーというシャワーを浴び続け、毛穴から浸透していくような印象を受けました。

また、この滞在中に今のライフスタイルとなったモナコ・ロシア間、7000kmをクラシックカーで走破するピースラリーにも出会いました。ユーラシア大陸を一つにするという壮大な計画に参加できたことも自分の人生を大きく変えました。

一般的によく素晴らしい景色を見ると「映画のワンシーンのようですね!」と言いますが、それは間違っていることを知りました。

映画はわたしたちの日常を模倣しているということに気付かされました。

この半年は今までの自分の人生の10年分くらい、いやそれ以上の体験をしました。

やっと人生のスタートラインに立ったという実感でした。

 

モナコを中心にヨーロッパで触れた美しい世界「Amazing Encounter」

 

起業

現在は、京都嵐山で宿泊業「Premiere Arashiyama」、飲食業「Sparkling Arashiyama」などを営み、モナコと日本を行き来する生活を愉しんでいます。

そして自身の経験を生かして「自分の意志で切りひらく人生」をテーマとして独立したい人、人生を変えたいと願ってる人を支援することに力を注いでいます。

これからこのブログのコンテンツも充実させていきます。皆さんの役に立つ情報発信ができればと考えていますので、相談やコメントなどお寄せください。

どんなことを望まれているのか、を教えて頂ければその内容について記事を増やしていきたいと思います。

どうぞ、人生狂わせて存分に愉しんでください♡

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