歴史を継承するとは
私たちがピースラリージャパンで使っている車は生産されてから50~60年ほど経っています。その間、幾人かのオーナーの手を経て現オーナーに引き継がれています。本部モナコ・ロシア間を走行するピースラリーでは1922年式のシトロエンを走らせます。約100年前の車です。
生まれてから現在までの時の流れの中で、針が時を刻むのと同様にその車ならではの歴史が車には刻まれています。オーナーを通してたくさんの想いも詰まっています。
ヨーロッパで作られた車が国境を越えて違う国に嫁いだかもしれません。私たちの乗っているヒストリックカーは海を越え日本にまでやってきました。それぞれの国でオーナーと伴にたくさんの地を訪れているはずです。ヨーロッパの古城、素敵なワイナリーや葡萄畑、歴史ある街、その石畳の上をタイヤが滑らかに転がり、気がつけばかなりの距離を走っていたのではないでしょうか。
また、たくさんの人との出会いや別れも経験しているでしょう。楽しい旅の記憶もあれば、筆舌し難い別れも経験しているでしょう。
大切に扱われてきたとは言え故障もします。そんな時に最新の部品に取り替えるのではなく、オリジナルの当時作られた面影や味わいを大切に残すために敢えて困難な修理方法をとっていることでしょう。
毎日のように愛車を洗車してたかも知れません。
愛車を眺めながらワインを飲んでいたかも知れません。
そんな時間と想いが「歴史」という厚みとなって車に宿り今ここに存在している。なんて素敵なことでしょう。そして、我々生きる時代を越えてまた次の人に受け継がれる。そう考えると車が存在している長い年月の一部を我々は借りて所有している。その責任と伴に。
その覚悟をもってヒストリックカーに接するからこそ、観えてくる世界があります。
単に所有するのではなく、現在までの歴史と未来への責任を買う覚悟のある人だけが観られるものがあります。とても不便なことにように感じる人もいるでしょうが、とても贅沢な時間とモノの使い方です。これぞラグジュアリーであり、そういう生き方ができることが美しい生き方だと思います。
自分の生きている時間軸から過去や未来へと想いを馳せられるようになり、たくさんのことを背負い愛車と伴に走り続ける。その集積がまた新しく引き継がれていく。これが継承する意味です。
そんなことを教えてくれるヒストリックカーです。
このピースラリーも過去の歴史の様々な出来事の延長線上に今があり、それを起点として未来にどう繋げるかという点でヒストリックカーを使う意味があると考えています。